第36号 悟弓巻頭言

TOP巻頭言集第36号 悟弓巻頭言



 悟弓      師範 魚 住 文 衞



 本年三月に満八十七歳を迎え、一昨年の病後の影響もあるのか、体力の減退から、弓を執ることはできない状態であるが、弓をもたずに弓を弾く毎日である。

即ち、糸のような細い息合いと共に、徒手で「引き分け」を運行し、「会」に至って更に細い息で「詰め合い」・「伸び合い」を行ない、その細い息の尽きる限界点(息の切れる時点)で「離れ」となる。

従って、若年の頃の「離れ」のように、胸に息を一杯吸い込んで、その息を「エイッ」と力を込めて離すようなことではなく、極めて自然に軽く、「雨露利の離れ」を誘発するのである。

このような「離れ」を考えるとき、「離れ」は息の終点と一致することを悟るであろう。

弓道の習錬は、弓道場で弓具を揃え、気分も整って行射を積み重ねることは、云うをまたないが、日常生活の中でも、僅かの時間を割いて、頭の中のイメージと共に徒手での行射の運行も、時として思わぬ効用をもたらすものです。

名古屋大学弓道部の諸君の、より一層の精進を期待します。

 注・「雨露利の離れ」・・・・・・草木の葉に溜った雨や露の水滴が次第に重くなり、遂に雫となって、葉末から自然にぽろりと落ちて跡形もなくなる如く、「会」に至って、詰め合い伸び合いの中に、次第に心身の力が集積して来て、その緊張の極み、無理なく自然に放れて行く姿を形容する、至極の「放れ」をいう。


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