第34号 悟弓巻頭言

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 射は仁の道なり      師範 魚 住 文 衞



 財団法人全日本弓道連盟発行の弓道教本第一巻の冒頭に弓道の理念として礼記の射義を抜萃して「射は進退周還必ず礼に中り、・・・・・・射は仁の道なり、射は正しきを己に求む、己正しくして而して後発す、発して中らざるときは即ち己に求むるのみ」と教示せられ、また、弓道の最高目標は真善美の追求であるとされている。

中学校、高等学校、大学など学校弓道では中ればよいという的中至上主義になり易い傾向があるのは一応やむを得ないかもしれないが、再考を要することではあるまいか。的に向かって矢を発つ以上、的中は重要ではあるが弓道の本質である「射は仁の道」ということを無視してはならない。

弓を始めた動機は人々によって様々であろうが段々練習を積むにつれて弓道は人の道の追求であることを自覚するようになるものである。

礼記射義における仁とは儒教で云う仁・義・礼・智・信という人倫五常の道の第一番の教目である。

仁は思いやりの心であり、愛である。愛は次の三つに区分することができると思う。

自然的愛山河、風景、動物、植物など自然を愛する。

文化的愛文学、芸術、書画、宗教、スポーツなどを愛する。

人格的愛親孝行、夫婦愛、友愛、師弟愛、郷里や国を愛する。

礼記射義にある仁は右のうち人格愛を云い、広く考えれば義・礼・智・信の心も含む人の道ということもできると思う。

また、真・善・美の追求は弓道の最高目標と云われているが、私は最高目標と云わずに弓道の目標と云った方がよいと思う。何故ならば最高目標と云うと初心者には無関係で高段者の目標であるように誤解されるからである。真・善・美の追求は初心のうちからそれを求める心構えが必要であり、初心者は初歩的な真・善・美を、中位者はそれ相応の真・善・美を、更に熟練者は高度な真・善・美を追求するように心掛けねばならないと思う。

真は正しいことの追求である。絶対的な真はあり得ないと云われる程にむつかしい問題であり、今の自分の射は正しいと思っていても、なおそれ以上に正しいものがある筈であり、真の追求は無限である。従って常に、より正しいものを追求する心構えが必要である。

善は道徳、倫理の追求である。弓道には興味本位のスポーツ弓道と真・善・美の追求を本位とする修養道としての弓道との二通りがあるが、修養道としての弓道では当然仁の道と真・善・美の追求であるが、スポーツ的な弓道であっても礼を重んずる点で他のスポーツとは違った特徴がある。他のスポーツの多くは相手の人の隙や弱点を攻めて勝利を得るという競技が多く、勝てば拳を突き上げてガッツポーズを執るのが通例であるが、弓道競技は動かない的を射るのであるから中り外れや勝敗の責任は全て自分にあり、勝っても負けても謙虚な態度を保ち、相手方の選手に対し礼を失することのないように厳に戒めている。

美の追求については、弓道の初心のうちは美的感覚はないが修練の積み重ねによって礼に叶った体配と正しい射法に基づく射行は観衆に対し美的感覚を与えるようになる。

美の感覚についても、ただ単に美しいと云う感覚から優美の感覚へ、更に崇高の感覚へと進み。修行の程度によって美の感覚も向上する。私が青年時代に愛読したドイツの哲学者カントの著「優美と崇高の感覚について」の翻訳書の中で優美と崇高の違いについて次のように述べられていたことを想起する。

          (優美)        (崇高)

           寡少          偉大

      装飾          簡素

           有限          無限

           静           動

           形           力

弓道に限らずどんな芸術でも初心のうちは美しいという感覚は顕われないが、技と心の向上につれ観衆に対し美しいという感覚を与えるようになり、更に達人名人になるとその技に飾り気がなく極めて自然に、しかも迫力と風格が顕われて観衆に対し崇高の感覚を与えるものである。

名大弓道部の皆さんは正しい射法によって的中率の向上を図ると共に、部員一致協力して弓道の本質である「射は仁の道」を追求して精進せられますよう念願いたします。


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